屁理屈メンヘラババアの戯言

精神疾患かメンヘラか怠け者か。

意識を保つ事

自分が個性的でいたい、私が私だと思って生きている反面
他人からそれを認めてほしいという承認欲求が
いつもついてまわる。
結局自分の軸はいつもブレブレで
本当は自信がないせいなのもわかっている。
努力をしないから自信がつかないんだと気づいてから
ただひたすらがむしゃらに仕事をしていたが
一向に自信などつかない
そしてそれはまだまだ努力が足りないという結果にいたり
さらにひたすら仕事をするのだが
憔悴した時にぼんやり考えるのは
私はただ自己評価が低いだけなのかもしれない。という
甘えに似た自己擁護なのだ。

最近なんとなくわかってきた事があるのだが
人間には無限の可能性があるということ
それに年齢という限界はないということ
人には人の身の丈があるということ
無理をすると必ずどこかしらで歪が生じること

要するに人生の選択に正解はないこと

世の中にあふれる正解に翻弄され
なにがよいかもわからぬまま
自分の中で答えを見いだせずに
他人の正解に振り回されて生きているということ

もはや他人と自分は違う世界に生きてると考えるほうが 
のびのび過ごせるのかもしれないが
社会にいる以上はそうにはいかない

これもまたややこしい

自分とは

自分の単純な性格に昔からコンプレックスを抱いて
それを変えようと
哲学本 自己啓発 尊敬する人間の見よう見まねをしてみたり
頭で理解したことを心に落とせるように心がけてきたけど
ふとした時や追い込まれた時には
どうしても本来の自我が前に出てしまう
やっぱり私は尻が青いし
根拠のないプライドを掲げて威勢だけはいっちょ前なヤンキーのよう。

過去の自分から少しは成長できたはずなのだが
たまに垣間見えるあの頃の私が今の私の足を引っ張る
でもそれも目標をたてて理想的な行動や思考を意識的に習慣づけていけば
少しづつではあるが気にもとめなくなると思う。
それを本当の自分じゃないと狼狽える事もなくなってきているし
徐々に前進はしているはず。



自分の人生のテーマはアイデンティティの確立で
与えられた自分だけの人生をいかに自分らしく生きるか。
人にはそれぞれ与えられた個性と感覚があって
生涯をかけてそれらの可能性を伸ばしていくべきだ。
べきだというよりは
私はそうしていきたい。


最近よくわからない事は
志を持つ生き方と
身の丈にあった生き方

大人になると色々悟る事も多くなると思うが
私にとってこの2つはいつも天秤のように揺れ動く
身の丈にあった生き方が失望的だとも思わないし
自分の事をよく理解したうえでストレスフリーな生活を送るという意味だろうけど
どうしても思いがけない奇跡が起きたり華やかでドラマチックなストーリーを夢見てしまう。
そういうのは努力次第だとも思うし。

こういう自分の価値観や思想をつらつらと綴ると
視野が一気に広がるのでさっきまで頭を抱えて悩んでいたことがちっぽけに感じる。
一人前な人間ならこの一連のマインドコントロール
自分一人で消化できるはずなのだろうけど
なんだかんだで私もまだ幼いので
誰かに聞いてほしいし
批判の意見も聞きたいし認めてもほしいとも思ってしまう
自分が敬っている人やお慕い申しあげている方限定で。

 

男女

男って本当単純とかよく小悪魔っぽい女の子達がいうけど
単純な男達で社会や政治が成り立っているなら
単純である方が世の中うまくやれるのかもしれないなー。
女は感情8割くらいで物事を考えているからスムーズにいかないのかも。
ほとんどの問題が物理的で、そこに情があるからややこしくなるだけであって
理論的に解決したり答えを出したりしていく方法ってのは女には難しいんだよねきっと。
一概には言えないけど
右脳が発達してる男はどこか女性らしさもある気がするよ。

何が苦か

一般的にみて
性格が悪かったり理屈っぽかったり
ひねくれてたり偉そうだったり
上から目線だったり気性があらかったり
はたまた冷めていたりノリが悪かったり
若い頃はそれを隠してたけど
私は私らしくいて
それでいいといって近くにいてくれるひとだけいたらよいって思い始めてから
さらにサイコパスになった気がする
いつか誰かに刺されそうな気がする
しかしそれを恐れて自分を隠して生きて行くことは
刺される痛みより耐え難い

嫌いな事

最近よく行く近所のジャズバーで
私はいつも端っこで1人本を読んでいるんだが
この前初めて友達と二人できて
カウンターでおしゃべりしてたのね
んで
常連っぽいはげた小太りの親父が近くにいて
わたしが友達とキューブリックの話をしていたら
どうやらその人はキューブリックファンらしく
あれがよいこれがよいとかいって
なんか浅い話を私らにし始めたんだよね。
まーそこは私も一応大人なので
感じよく接して
フルメタルジャケットがあーだこーだっつって
少し交流したんだけどさ
映画や音楽の話をしている中で
同じ分野が好きで語り合うのは
よっぽどマニアックな薀蓄を出してこないかぎり
ハンバーガーはおいしいね
ぼくはテリヤキが好きだよ
へー!そうなのかい!いいね!
っていう会話となんら変わりなくて
だからなんだよ黙れよいちいちお知らせしなくていいよという気持ちになるわけ
共感しあって楽しい!とかならないわけ
しいていえば
1つの作品にたいしてのそれぞれの解釈とかをききたいわけ
すごいのはわかってるし
好きや嫌いはひとそれぞれだし
そんなことはどうでもいいんだよ
ひとに話すくらいならもっと自分の意見もりこめよってなるんだわ
だからなんとなくな慣れ合いがある空間ってきらい
これは相手がはげの中年だからなのか?もしオランダ人の長身アンニュイグランジ系中年だったら私はキャッキャするのか?と
自分に問いかけたが
やはりなんでも中身がスカスカなやつは誰がどうであれ私はゲンナリするのだ
なんとなくな趣味や嗜好をもってるやつがすごく嫌いなのだ

 

音楽

音楽と私

音楽に助けられた事は今まで数え切れないほどある。
自分の感情に振り回されて押しつぶされそうな時の安定剤にもなれば
逆に感情を高ぶらせたい時の起爆剤になったり

オールジャンルで聴くが
とりわけダブステップやチルステップ系の
気怠いロックが好きだ。
ウィスパーボイスと太くてどんよりしたベースの音は
私の周波数にマッチして
聴き心地がたまらなく良い。

この前小学生の頃好きだった
アイリッシュパンクを久々に聴いてみたら
懐かしいだけで、いい曲かどうかは謎だった。
幼いころの純粋で無垢だった私の聴覚は
今とどう変わったのだろうと疑問に思ったりなんかして。

音楽は目で見た記憶よりも「その頃」を鮮明に思い出させる。
その時感じた空気や香り景色感情すべてを。
それに気づいてから
この瞬間を忘れたくない!と思った時は
意識的にその雰囲気にあった音楽を聴くようにしている。

私が聴いてきた音楽は私の人生のアルバムでもあるのだ。

 

単細胞

0か100、白か黒しかない私の極端な性格は

いつになってもバランスをとることを知らずにいる。

こういう単細胞で美徳のカケラもない自分の性格にいつも嫌悪感を抱いている。

いつも衝動にかられ、我を見失い

視野が狭く猪突猛進のくせに責任感もなく

ただまわりの空気をかき乱している自分が滑稽で

治そうと心がけても

スイッチが入ったらその心がけもどこかに吹っ飛んで

また後悔の念にかられてうろたえるのよね。

つら、、、